うつ病になっていちばん厄介だったのは、症状そのものよりも、症状のある自分を責めてしまうことでした。
休んでいるのに罪悪感がある。できないことが増えるたびに、自分の弱さのせいだと思う。そして、そう思っている自分をまた責める。この輪の中に入ると、自力で抜けるのは本当に難しかったです。
この記事では、その時期に私が「やめたこと」を書きます。何かを新しく始めるより、やめるほうが、当時の私にはずっと現実的でした。
※これは一人の当事者の記録で、医学的な治療法の説明ではありません。考え方の面で強いつらさがあるときは、一人で抱えず主治医やカウンセラーにご相談ください。
やめたこと1:原因を突き止めようとすること
最初のうち、私はずっと「なぜこうなったのか」を考えていました。あの仕事の受け方が悪かったのか。あのとき断っていれば違ったのか。もっと早く気づけたのではないか。
考えても答えは出ませんでした。というより、答えが出ないから考え続けてしまうという構造でした。
原因を探る作業は、一見すると前向きです。次に活かすため、と自分では思っています。でも実際にやっていたのは、過去の自分を裁き続けることでした。
これがいわゆる反芻(はんすう)——同じことを何度も考え続けてしまう状態に近いのだと、あとから知りました。考えている時間の長さと、解決に近づく度合いは、まったく比例しません。
やめ方として役に立ったのは、「考えるのをやめる」ではなく「いま考えても答えが出ないことだ、と認める」ことでした。止めようとすると余計に浮かんできますが、「これは今は答えが出ない」とラベルを貼って横に置くのは、少しだけできました。
やめたこと2:他人の回復と比べること
検索すると、「3か月で復職しました」「半年で元通りになりました」という記録がたくさん出てきます。
読んでいるうちに、自分が遅れているように思えてきます。同じ病名なのに、なぜ自分はこうなのか、と。
でも、比べようとしている相手の情報は、いつも断片です。その人の症状の重さも、環境も、周りの支えも、こちらには見えていません。見えていないものを揃えないまま、結果だけを並べて比べていたわけです。
私は途中から、回復の体験談を読むのを一時的にやめました。役に立つ情報もあるのですが、当時の自分にはまだ早かった。制度の話や、具体的な対処法の記事だけを読むようにしていました。
やめたこと3:「頑張ればできるはず」で判断すること
これがいちばん根深いところでした。
できなかったとき、私はいつも「頑張りが足りなかった」と解釈していました。逆に言えば、頑張れば何でもできるはずだ、と思っていたということです。
でも、うつの状態で「できない」のは、頑張りの量の問題ではありませんでした。文字が頭に入らないのは、集中しようとしていないからではない。起き上がれないのは、意志が弱いからではない。
ここを取り違えていると、できないたびに自分を責めることになります。そして責めれば責めるほど、消耗して、さらにできなくなります。
私が意識したのは、判断の基準を「できたか/できなかったか」から「いまの自分の状態に対して、その量は適切だったか」に変えることでした。3日で挫折した「毎日30分の散歩」は、私の努力不足ではなく、単に設定が重すぎただけでした。
やめたこと4:0か100かで考えること
完璧にできないなら、やらないほうがまし。この考え方は、ずっと私の中にありました。
うつの状態では、この思考が特に効いてきます。以前と同じ質でできないなら意味がない、と考えると、何も始められなくなるからです。
こうした「全か無かの思考」は、認知の歪みのひとつとして知られているようです。完璧主義的な傾向が強い人ほど、休むことに罪悪感を持ちやすいとも言われています。
対処として実際にやったのは、大げさな思考の修正ではなく、目標の刻み方を細かくすることでした。「部屋を片付ける」ではなく「引き出しを一つだけ」。「本を読む」ではなく「1ページだけ」。刻めば、100を達成できます。
やめたこと5:気持ちを説明しようとすること
家族に心配をかけたくなくて、私は自分の状態を言葉で説明しようとしていました。今日はこういう理由でしんどい、これができないのはこういうわけで、と。
でも、説明にはエネルギーが要ります。そして、うまく説明できないと「伝わらなかった」という新しい落ち込みが生まれます。
途中から、数字だけを共有するようにしました。「今日は6」とだけ伝える。理由も、言い訳も、見通しもつけない。それで十分に伝わりましたし、私の側の負担は大きく減りました。
やめられなかったこともある
正直に書いておくと、やめようとしてやめられなかったこともあります。
「周りに迷惑をかけている」という感覚は、最後まで消えませんでした。頭では、休職も治療も権利の範囲のことだと分かっています。それでも、感覚のほうは変わりませんでした。
いま思うのは、この種の感覚は消そうとしないほうがよかったということです。消そうとすると、消えないこと自体がまた自己否定の材料になります。「そういう感覚がある状態なんだな」と、横に置いておく。それくらいしかできませんでしたが、それでよかったと思っています。
やめることのほうが、始めることより現実的だった
セルフケアの情報は「これをやりましょう」という形で書かれていることがほとんどです。でも、体力が落ちている時期に何かを始めるのは、それ自体が負荷でした。
一方、やめることには体力が要りません。原因探しをやめる。比べるのをやめる。説明をやめる。どれも、何かを足すわけではないので、しんどい日でもできました。
もし今、何もできない自分を責めている方がいたら、新しく何かを始めるより先に、いま自分を消耗させていることを一つやめてみるほうが、届きやすいかもしれません。
なお、ここに書いたのは私の場合の話です。考え方のクセとの付き合い方について、体系的に書かれた本もあります。ただ、症状が重い時期に厚い本に取り組むのは負担になりかねないので、時期は選んだほうがいいと思います。
周りの人にできること
この記事は当事者向けに書いていますが、支える側の方にも一つだけ。
自分を責めている人に「そんなことないよ」と言っても、たいてい届きません。否定されると、こちらは「分かってもらえない」と感じてしまうからです。
私が言われて楽だったのは、否定でも励ましでもない言葉でした。「いまは休むのが仕事だよ」「治ってからでいい」「何もしなくていいよ」。こちらに何も求めていない言葉が、いちばん楽でした。
逆に「頑張って」「気の持ちようだよ」は、悪気がないと分かるだけに、応えられない自分がまた嫌になりました。
うまくいかない日もある
ここまで「やめたこと」を並べてきましたが、毎日きれいにやめられているわけではありません。
いまでも、調子が落ちてくると原因探しが始まりますし、人と比べます。やめたつもりのことが戻ってくること自体は、失敗ではないと考えるようにしています。
大事なのは、戻ってきたときに「またやっているな」と気づけるかどうかでした。気づけるだけで、その輪の中に長くとどまらずに済みます。
記録をつけるようになってからは、そこが少し楽になりました。感覚ではなく、書いたものが「先週より落ちている」と教えてくれるからです。
※この記事は個人の体験に基づくものであり、治療の代替となるものではありません。考え方の面で強いつらさが続く場合は、我慢せず主治医やカウンセラーにご相談ください。
