体調を崩してから、いくつかのことを手放しました。
望んで手放したものは、ひとつもありません。できなくなったから、やめざるを得なかった。それだけです。
ただ、しばらく経ってから振り返ると、そのうちのいくつかは、そもそも抱えなくてよかったものでした。この記事では、そのあたりのことを書きます。
※これは一人の当事者の記録で、生き方を勧めるものではありません。
手放したもの1:全部自分でやるという前提
私は、頼まれた仕事を断るのが苦手でした。抱え込んで、自分で処理して、周りに心配をかけないようにする。それが責任感だと思っていました。
体調を崩して、それができなくなりました。引き継ぎも満足にできないまま休むことになり、その分は誰かが背負うことになりました。
当時はそれが申し訳なくて仕方なかったのですが、あとから思ったのは、私が抱え込んでいたせいで、その仕事が私にしかできない状態になっていたということでした。手放したのではなく、手放せる形にしてこなかっただけです。
これは、いま働き方を考えるときの基準になっています。自分がいなくても回る形にしておくことは、周りのためというより、自分が倒れないための備えでした。
手放したもの2:「迷惑をかけない」という目標
これも根深いところでした。
人に迷惑をかけないように生きる。立派なことのように思えますが、突き詰めると「助けを求めない」ということでもあります。
限界まで我慢して受診し、その分だけ回復に時間がかかりました。早く言っていれば、周りの負担はむしろ小さくて済んだはずです。迷惑をかけまいとした結果、より大きな迷惑をかけた。これが実際に起きたことでした。
いまは、迷惑をかけない、ではなく「かけるなら早いうちに」と考えるようにしています。
手放したもの3:以前の自分と同じ働き方
これは、いちばん認めたくなかったことです。
以前は、長時間働くことも、詰め込むことも、それなりにできていました。復帰したら同じようにやれるはずだと思っていました。
実際には、できませんでした。そして、できないことを「今は本調子ではないから」と説明しているうちは、いつまでも元に戻ることが目標になります。
いまは、目標を「元に戻る」から「この状態のまま続けられる働き方を見つける」に変えました。この切り替えができるまでに、私はかなり時間がかかりました。
手放したもの4:先の見通しを持っていたい気持ち
体調を崩す前の私は、数年先までの見通しを持っていることを、良いことだと思っていました。
症状が出てからは、来週のことすら分からなくなりました。予定を立てても、その日になって動けるかどうかが分からない。
ここで苦しかったのは、予定が崩れること自体より、見通しを持てない自分を情けなく感じることでした。
対処として実際に効いたのは、見通しの範囲を意識的に短くすることでした。私は「3か月先まで」と決めて、それより先は考えないようにしました。半年先、1年先まで細かく計算すると、たいてい暗い結論が出ますし、その計算は前提が変わればすぐ崩れます。
逆に、手放さなくてよかったもの
全部を手放したわけではありません。残しておいてよかったものもあります。
- 生活の最低限の枠。 3食食べる、決まった時間にカーテンを開ける。成果ではなく枠だけは残しました
- 家族との日常の会話。 病気の話をしない、ふつうのやり取り。ずっと患者として扱われるのは、それはそれで消耗します
- 「いつか働きたい」という気持ち。 焦りとは別ものです。これまで手放さずに済んだのは、大きかったと思っています
とくに最後のものは、無理に前向きでいようとしたわけではありません。何もできない時期にも、それだけは消えずに残っていました。
手放すことは、あきらめることとは違った
当時の私は、できなくなることを全部「負け」だと受け取っていました。
いま思うのは、手放したもののうち何割かは、そもそも持たなくてよかったものだったということです。全部自分でやるという前提も、迷惑をかけないという目標も、持っていたから偉かったわけではありませんでした。ただ、自分を消耗させていただけでした。
とはいえ、これは回復してきたから言えることです。渦中にいるときにこう思えたかというと、無理でした。
いま何かを手放さざるを得ない状況にいる方がいたら、それが良いことだとは言いません。ただ、いま手放しているものの中に、あとから「持たなくてよかった」と思えるものが混じっている可能性はある、ということだけお伝えしたいです。
手放し方に、コツのようなものはあるか
正直に書くと、私の場合は選ぶ余裕がありませんでした。できなくなった順に、勝手に手から落ちていった、というのが実際のところです。
ただ、少し動けるようになってから意識したことはあります。
- やめるかどうかを、体調の悪い日に決めない。 その日の判断は極端になります
- 「一度やめる」と「二度とやらない」を分ける。 休止であって終了ではない、と考えるだけで決めやすくなりました
- 手放したものを数えない。 数えると失ったものの一覧になります
2つめは特に効きました。趣味も、人との付き合いも、「いまは休止」と考えることで、罪悪感なく手放せました。実際、そのあと戻ってきたものもあります。
働き方について、いま考えていること
手放したものの多くは、働き方に関するものでした。だから、次に働くときにどうするかは、いちばん考えているところです。
いま基準にしているのは、次のようなことです。
- 給与や役職より、続けられるかどうかを先に見る。 短期間で高い成果を出せる働き方は、私には向いていませんでした
- 断ることを前提に組み立てる。 断れない性格は変わらないので、断らなくて済む量に最初から設定する
- 自分がいなくても回る形にしておく。 抱え込みは、いつか自分に返ってきます
- 通勤時間と勤務地を軽視しない。 毎日のことなので、疲労に直結します
これらは、体調を崩す前の私が重視していたこととは、かなり違います。以前は、成長できるか、任せてもらえるか、という基準で選んでいました。
どちらが正しいという話ではありません。ただ、一度倒れたあとの自分にとっては、続けられることのほうが優先順位が高い、というだけのことです。
この基準にたどり着くまでに、私は二度体調を崩しました。同じ回り道をしなくて済む方がいれば、と思って書いています。
手放したことを、人に説明しなくていい
最後にひとつ。
いろいろ手放していくと、周りから「なんで辞めたの」「もったいない」と言われることがあります。悪気なく言われるぶん、こたえます。
私は途中から、説明するのをやめました。理由を話すと、たいてい「でも」が返ってきます。そのやり取りにエネルギーを使うより、「いまは休んでいます」で止めてしまうほうが楽でした。
説明する義務は、こちらにはありません。分かってもらえないことを、分かってもらおうとしないでいい。これも、手放してよかったことの一つです。
※この記事は個人の体験に基づくものであり、治療や生き方についての助言ではありません。判断に迷うときは、主治医や信頼できる人に相談しながら決めてください。

