うつ病になったとき、会社にどう伝えるかと同じくらい、いや、それ以上に悩んだのが「家族にどう伝えるか」でした。
会社は他人です。家族は、この先ずっと一緒に生きていく相手です。だからこそ、言葉を選びましたし、言えないまま過ごした時期もありました。
※これは一人の当事者の体験談です。家族の形はさまざまで、正解は一つではありません。
言えなかった時期
症状が出始めてからしばらく、私は家族に何も言いませんでした。
理由はいくつかあります。心配をかけたくない。情けないと思われたくない。何より、「大丈夫だよ」と言い続けているうちに、自分でもそう思い込みたかったのだと思います。
でも、隠しきれるものではありませんでした。帰宅してすぐ横になる。休みの日に何もしない。会話が減る。表情が減る。言葉で言わなくても、日常の変化として全部伝わっていました。
あとから聞くと、家族のほうは「何かおかしい」とかなり前から気づいていたそうです。ただ、こちらが何も言わないので、聞いていいのか分からなかった、と。
つまり私は、心配をかけないつもりで、正体の分からない心配をかけていたわけです。
伝えたときのこと
結局、受診して診断がついたタイミングで話しました。
伝え方として意識したのは、「これから何が起きるか」を一緒に共有することでした。今の状態がどうか、医師から何と言われたか、しばらく仕事をどうする予定か、お金はどうなるのか。
病名だけを伝えると、相手は不安になります。「うつ病らしい」だけでは、何をどうすればいいか分かりません。だから、分かっている範囲の見通しをセットで伝えるようにしました。
正直、この説明をする体力すらない時期だったのですが、ここを飛ばさなくてよかったと思っています。
家族にとってのつらさもある
これは、少し回復してから気づいたことです。
病気になった本人はつらい。それは間違いありません。でも、支える側にもはっきりとした負担があります。
- 家計の見通しが立たない不安
- 家事や育児の負担が一方に寄る
- どう接すればいいか分からない気まずさ
- 元気づけようとした言葉が裏目に出たときの落ち込み
- 自分がしんどいと言ってはいけない気がする、という遠慮
とくに最後の点は、あとから知って胸が痛みました。支える側は「自分より本人のほうがつらいのだから」と思って、自分の疲れを口に出しにくくなります。
私は自分のことで精一杯で、そこに気づくのが遅れました。もし今、同じ立場の方がいたら、「そっちも大変だよね」という一言を、できる範囲で伝えてほしいと思います。
子どものこと
小さい子どもがいる家庭では、また別の悩みがあります。
病気のことをどう説明するか。説明しないほうがいいのか。遊んでほしいと言われても応えられない自分を、どう受け止めるか。
私の場合、体調が悪いときに子どもの相手ができないことが、いちばんこたえました。何もしていない自分への罪悪感が、子どもの前ではさらに強くなります。
一方で、救われた部分もありました。子どもは、こちらの事情に関係なく普通に接してきます。仕事の話も、体調の話もしません。ただ「見て」「聞いて」と言ってくる。その時間だけは、病気のことを考えずに済みました。
無理をして相手をした日は、あとで反動が来ました。だから「今日は5分だけ」と決めて、そのぶんはちゃんと向き合う。そういう形に落ち着いていきました。時間の長さより、その時間に上の空でないことのほうが大事だったように思います。
仕事と家庭のあいだで起きたこと
家庭の事情と仕事がぶつかる場面も、何度かありました。
子どもが急に熱を出して、休まざるを得なくなる。そのことで職場から良い顔をされない。この経験は、体調にもはっきり影響しました。
家庭のために休むことに罪悪感を持たされる環境は、本人の体調が万全なときでも消耗します。まして、すでに限界に近いときには、決定的な一押しになりえます。
単身赴任の時期もありました。仕事の面では必要な選択でしたが、家族に負担が寄ったことは確かです。あの時期の疲れは、あとになって効いてきたと感じています。
家族に助けてもらってよかったこと
実務的な面で、頼んでよかったと思うことを挙げておきます。
- 書類の管理と郵送(傷病手当金の申請書など、往復が多い)
- 通院への同行(医師に伝え忘れたことを補ってもらえる)
- 日々の様子を外から見て伝えてもらうこと
- 大きな判断をするときに、一緒に考えてもらうこと
3つ目は、思っていた以上に価値がありました。自分では調子がいいつもりでも、家族から見ると「先週より口数が減っている」といった変化が分かります。自己申告だけだと、良いほうにも悪いほうにも評価がぶれます。
4つ目については、復職か転職かを決めるときに実感しました。当時の私は、一人で考えるとどうしても自分に厳しい結論に向かっていました。
伝えることを迷っている方へ
家族に伝えるかどうか、どこまで伝えるかは、その家庭の事情によります。全員に同じ答えはありません。
ただ、私の経験から言えるのは、「隠しているつもりでも、たいてい伝わっている」ということです。そして、正体が分からない状態で心配されるほうが、相手にとってはつらいことが多いようです。
言葉にする体力がないときは、無理に長く説明しなくてもいいと思います。「病院に行ったら、しばらく休んだほうがいいと言われた」。それだけでも、状況はずいぶん共有されます。
言われてつらかった言葉、助かった言葉
これは、支える側の方にも読んでいただきたい部分です。悪気のない言葉ほど、こちらには刺さることがあります。
つらかった言葉
- 「頑張って」(もう頑張れないから休んでいる、と感じてしまう)
- 「気の持ちようだよ」(努力不足だと言われた気持ちになる)
- 「いつ復帰できそう?」(自分でも分からないことを聞かれる苦しさ)
- 「〇〇さんもうつだったけど、すぐ治ったよ」(比較されると焦る)
- 「外に出たほうがいいよ」(正しいけれど、できないから困っている)
どれも、相手は励まそうとして言ってくれています。それが分かるだけに、応えられない自分がまた嫌になる、という循環がありました。
助かった言葉
- 「今は休むのが仕事だよ」
- 「何もしなくていいよ」
- 「治ってからでいい」
- 「聞くだけなら、いつでも聞くよ」
- 「今日、ごはん何食べたい?」
共通しているのは、こちらに何かを求めていないことだと思います。回復も、説明も、感謝の返事すら求めない言葉が、いちばん楽でした。
最後の「ごはん何食べたい?」は意外に思われるかもしれませんが、病気の話をまったくしない普通の会話が、当時はありがたかったです。ずっと患者として扱われるのは、それはそれで消耗します。
支える側の方へ
家族の側にも、どうしていいか分からない時期があると思います。私の経験から、二つだけ書かせてください。
ひとつは、良くなったり悪くなったりを繰り返すのが普通だということです。せっかく調子が上向いたのに翌週また落ちると、支える側は「何がいけなかったのか」と考えてしまいます。でも、波があること自体は珍しいことではありません。
もうひとつは、支える側も休んでいい、ということです。すべてを抱えると、今度は支える側が倒れます。使える制度や外部のサービスがあれば、遠慮なく使ってください。それは本人にとってもマイナスにはなりません。
※この記事は個人の体験に基づくものであり、治療や家族関係についての助言ではありません。ご家庭の状況に応じて、必要であれば医師や専門の相談窓口にご相談ください。

